父が膀胱がんで尿漏れが耐えませんでした。

去年の11月、父が膀胱がんの為、逝去しました。

2年間の闘病生活でした。

二年前の1月に大量の血尿が出たのが始まり。

くしくも父の誕生日でした。

 

最初の手術は膀胱鏡での切除。

これはただ引っ掻く程度のもので再発は免れないものでした。

そして半年もしない頃に再発。

膀胱の中に腫瘍ができるわけですから、膀胱の容量も少なくなり、父は頻尿に悩まされることになります。

多い時で一晩で10回以上。出るのは血尿。

少し出て、また5分するとトイレに行くの繰り返しで夜も眠れない時が多く、かわいそうでした。

 

二回目の手術は膀胱の部分摘出。

実はこの時に全摘出して人工膀胱にしていたら余命が少し伸びたかも知れません。

この部分摘出は8月に行われ、父も下腹をメスで切られさぞかし痛かったと思います。

膀胱の容量は半分以下になってしまいました。

 

退院の日、私が病院から1時間ほどかけて車に乗せて自宅まで送りました。

私は医療従事者ということもあり、父が実家に帰ってきた、ただそのことだけでも嬉しかったのですが、

父はこの時、尿漏れを起こしてしまったのです。

 

私は母から、「こんな毎日が続くの?」と言われ、唖然とするや「そんなことは言ってはいけない」と言いました。

男のプライドもあるのか、こんなになってしまったという思いがあったのか父は

一点を見据えたまま、ただ居間に座っていました。

帰ってきてくれた、ただその事だけでも母には喜んで欲しかった。

 

その後、父はそれまで以上の頻尿に苦しむことになります。

一晩で20回以上。全く眠れず、昼も寝ている始末でした。

「こんな風にしやがって」と主治医を恨む気持ちが強くなっていったと言います。

 

その年の11月下旬。

CT検査で肺に転移が見つかり、私は父と外来診察に同行、不信感を強めることになります。

父は病院に行けば病気を治すのが当たり前と思っていましたが、

私は違い、明らかに外来診察がいい加減なものを見抜きます。

しかし、父は「家から近いこの病院で」と言うので年末年始を入院し、

抗がん剤治療に充てることになりました。

 

年が明け、2月にリンパへの転移が認められ、父は主治医に迫るほど不信感を露わにします。

セカンドオピニオンを進め、私は東京の病院を勧めますが、またもや近場に行ってしまいます。

闘病生活に疲れたのかも知れません。

 

そこで言われた一言は「悔いのない人生を」。

父は泣いて私に電話をしてきました。

私は一縷の望みを掛けて東京の病院を勧め、父は私の意見を聞いてくれました。

「最後はお前のそばに」と言ってくれました。

 

私が勧めたのですから私が責任を持つ。

東京の病院での計3回の抗がん剤治療の入院、

1回の放射線治療の入院生活で必要な尿漏れパッド、

おむつは私がどんなに猛暑と言われる中でも届けました。

 

私は「こんなことくらい何でもない。一番苦しいのは父だ」

と自分に言い聞かせて一縷の望みを掛けて大汗を垂らして持っていったものです。

存在するだけで、こんなに安らいだ気持ちにさせてくれる人はいなかった。

今は父のやりたかったことをこの生ある限り成し遂げていこうと思っています。

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